大学における軍事研究 1
ここでは過去の報道等まとめるだけとする。
2016年12月
2016年5月
2015年1月
1987年2月
名古屋大学平和憲章(1987.2.5制定)
http://kyoshoku.coop.nagoya-u.ac.jp/kakehashi/0201/36p.html
1967年10月
軍事目的のための科学研究を行なわない声明 (日本学術会議)
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/04/07-29-s.pdf
続き
君たちは自分の子供と公立小学校に何を期待しているのか
世の中いろんな不平・不満が溢れている。
その一つのジャンルに、小学校の算数教育における理不尽な減点問題というのがある。
かけ算の順序問題を知っているだろうか。
詳細はWikipediaにまとめられているので参考にして欲しいが、要は小学校の時になぜか書かされたかけ算の式の書き方の問題である。僕は、この問題を解くために必要な要素は3つあると考えている。
- 文章から一つ分の数とそれが何人分であるかを読み取ることができる
- 式は
一つ分の数 × 何人分か
と書くことを理解している - 計算ができる
日本の小学校の教育では、3つともに理解でき表現できることをもって満点が与えられる制度になっている。その是非はともかくとして、そういう制度になっているから、それぞれの段階でつまずく可能性がある。1で躓いた場合はどうしようもないが、2と3は独立につまずく可能性がある。
研究職をやっている僕ですら、数のかけ算において式の順番が逆でも困ることはない。それこそ教科書や参考書などの人に見てもらうための文章を作らない限り、気にする必要はない。だから、子供たちに無用なことを考えさせているという批判はもっともだと思っている。現行の制度自体を改めるという意見にも賛同できるところがある。
ただ、この問題の根幹はそこにはない。
これは僕の勝手な妄想だが、騒ぎ始めた親はそれなりに賢くて、過去「できる小学生」だったため1~3でつまずくことがなく減点されることもほとんどなかったのだが、その子供が「2でつまずく小学生」だった場合に問題になる。自分の分身であるはずの子供が、自分は「できた」問題で躓き、かつ自分の学歴よりも低そうな小学校教諭に減点されるということに対する感情、つまりプライドの高さと僻んだ親バカ精神がこの騒ぎを生み出しているのではないだろうか。
何を言いたいのかというと、自分の子供と公立の小学校に期待しすぎ、ということである。
少年たちの成長の物語 機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 第32話
子供はいつか死ぬ。命が絶えるということもあるが、子供としての子供らしさが死ぬ(=大人になる)ということでもある。
鉄華団の少年兵は良く戦った。見てる方まで疲れる戦いだった。
その中で、死ぬことを恐れなかったアストンが、死にたくないと言いながら死んだ。家族ができ、守りたい仲間ができ、その一番の仲間であり家族を守って死んだ。
家族を守れなかったタカキは、そのけじめとして、かつては家族の一員として信じていた元仲間であり元凶の一人を、自分の意思で殺した。その瞬間、タカキは自身の甘さを殺し、子供らしさを殺してしまった。
対照的に、大人も二人死んだ。守るべき仁義を破り契約相手を危険にさらして死んだ大人と、仁義を守って自害した大人だ。子供たちがいずれの大人にもなって欲しくない。
タイムライン上でタカキの死を知た。その後に
アストンの死を見てくる
と言って32話を見始めたのだが、認識が甘かった。そして言い換えなければなるまい。
アストンの命が消え、タカキの子供らしさが死んだ
と。
「広告業界という無法地帯」の議論
あまりにも発想が幼稚すぎて最後まで読めなかった。読めた箇所までで議論しよう。
自社の工場を動かす会社なら、製造量を制限して「はい、ここまで」と電気を消して、社員を帰らせれば済むかもしれない。
まず、製造業を舐めていて気分が悪かった。僕は製造業には所属していないが、製造業だって一つのミスや納期の遅れで数億円の損失が出ることじゃあるんじゃなかろうか。それに、製造業って物を作ってハイ終わりじゃないんだよ。
僕がいた頃でも、「残業は月○○時間まで」、「夜十時以降の残業をする際は、上長の承認を事前に受けること」などといった非現実的な規則が導入されていった。夜九時に営業から電話があって、「あの件、変更になった! 明日までに代案を出せって!」と言われたりしたなら、「上長の許可が得られませんので対応できません」と答えろとでも言うのだろうか。それを営業はクライアントにどのように伝えるというのか。また、営業は、そう言うコピーライターに次に仕事を頼みたいだろうか。
事案が変更になったら、代案を出すには時間がかかり、翌日にはできないのは当たり前。営業ができると言うからクライアントがつけあがる。それだけじゃん、ハイ終わり。ほんと、これで終わりなんだよ。
広告業をライフラインか何かと勘違いしてるんじゃなかろうか。広告で人は死なない。一方、電気が長期間止まったら人が死ぬ。だから、大震災等で大規模な停電が起きたら必要に応じて非常用電源等の設計をしているし、復旧のためには社を超えての応援体制が構築されている。これが、リスクマネジメントというやつだ。
プロジェクトや事業が失敗しないようにリスクマネジメントするのが上司の役目で、いろんな安全係数をかけて人員配置するのも上司の役目で、それでコストが上がってもしょうがなくて、最後にプロジェクトがぽしゃったら責任取るのは上司の役目なんだが、電通にはそういう意味での上司はいないようだ。これは僕の予想だけれど、事業が失敗しても本当に人が死ぬわけじゃないから、本当のリスクマネジメントを学ぶ機会がなかったんじゃないだろうか、と。
労働基準を無視してまで働いて良いのはごく一部の知的労働者だけだ。多分、コピーライターはこの知的労働者に入るのだろう。ただ、多くの一般社員(サラリーマン)が労働基準を無視するのはもってのほかだし、裁量労働制になっている知的労働者であったとしても命を削って行うほど仕事には価値はない。
仕事はあくまでも仕事だ。人を殺しても優先される仕事などというのは絶対にない。これは、いかなる業種、業界においても絶対にない。100億円の案件が吹っ飛ぼうが、命より大切なものはどこにもない。
大手企業がこんなだから日本が暗くなるんだろう。昔みたいに社会全体が成長を続けていたなら、こういう働き方もありだったのかもしれない。しかし、今の日本は昔のように大きな成長を見込めない。むしろ経済規模は縮小する傾向にある。そんな中でこの働き方は無理だ。夢も希望もない。
こんなのを子供たちが見たらどう思うのか、絶望しか感じないと思うんだが、エリートの方々は目先の利益だけを考えずに、もっと将来を見据えてくれませんかね。子供たちは、ちゃんと見てますよ。子供たちが夢を見て希望を持てる社会、それを描くのが広告業の務めの一つではありませんか。