びしょの日記 (vipshota’s diary)

これはショタコン的視点からの雑多な日記帳です。まじめな記事が5割、ふまじめな記事が5割でできています。将来黒歴史になる予定です。

ショタとは何か

 田中太郎さんが面白い企画をやってくれていたので、絵も小説もかけない僕だけれども、乗ってみようと思ったのである。

企画: #ショタベントカレンダー2018 Advent Calendar 2018 - Adventar

 僕が常日頃から考える「ショタ」の定義が幾つかある。日頃ツイッターでつぶやいていることのまとめになってしまうが、この機会に最近話題にしている2つの観点を紹介しようと思う。長文になるので頑張って読んで欲しい。

 「ショタ」を語るにあたりしばしば議論になるのは「年齢」との相関である。高校生はショタなのか、中学3年生はショタなのかという激論を数多く見てきた。結末が出たことはいまだかつて見たことがない。しかし、ショタの年齢の上限というものは存在すると思う。それは、18歳の壁である。児童福祉法風営法、淫行条例、婚姻適齢、公職選挙法子供の権利条約など、多くの条例や法律や条約によって18歳前後、または20歳前後では大人・子供の区分けされている。詳細は下記の投稿を参照して欲しい。

子供と大人の区分 12歳から20歳編 - びしょの日記 (vipshota’s diary)

 しかし、これは現代の法に縛られる存在に限るわけで、例えば過去の話とか、異世界の話とか、妖怪の類いとか、そのような場合にさて年齢という概念が本当に重要なのかというと、実は難しい問題なのかもしれない。現行法に縛られるのだとしたら、ショタ(法律上は少年)は18歳未満であるという説を強く推したい。法に縛られないのなら外見と社会的立場次第であろう。

 「ショタ」を語るにあたり外せないのは「成長」である。創作物に出てくるショタを成長させるべきか否かという激論は数多く見てきた。この激論の中で死んでいったショタコンも数多く見てきた(笑)。成長させるべきかどうかについては結論がでなくても、ショタは「成長」できる存在であると思うし、そうあるべきだと思っている。ここでいう「成長」というのは不可逆な「変化」を言う。「成長」したら元に戻れないのが「成長」である。だからこそ成長前は貴重であるし、成長過程も貴重なのだ。

 ショタの「成長」を語るにあたり、ポケモンのアニメシリーズにおけるサトシの存在は欠かせない。サトシは20年以上に渡りポケモンテレビアニメシリーズ(アニポケ)の主人公を務めてきた。初登場時に10歳だったサトシが、20年後の今もやはりほぼ同じ10歳の肉体年齢で、ポケモンの世界を子供達に伝えるために奮闘しているのがアニポケなのである。20年以上に渡り主人公を背負わされてきた弊害はたくさんある。それは、簡単に「成長」させられない存在になってしまったということだ。

 初めてサトシがテレビに登場した1997年頃、サトシは未熟で不完全な存在だった。最初は失敗の連続であったが、その度に何かを学びどんどん成長していった。彼を取り巻く人間関係は数年ごとにリセットされるが、彼が成長したことをリセットさせるのは過去の放送回との整合性から難しい。人間関係は「変化」できるが、失敗から学ぶのは「成長」であり人間関係と違って蓄積されていくものだからだ。

 今、サトシはアローラ地方でこの20年間と変わらず親元を離れて生活しているが、最近ではサトシ自身が「成長」したと思えることはほとんどなくなってしまった。見ていない人にはピンと来ないと思うが、ここ数年で真に成長した回は「死について考えた回」(21. ニャビー、旅立ちの時!)くらいであり、ほかは新たな仲間を作る、新たな仲間と分かり合う、新しいポケモンと出会うといった「変化」が各回のテーマとなるか、もしくはサトシの新たな仲間が「成長」するのを見守るかにとどまっている。

 ショタの成長は、ショタコンにとってのジレンマでもあるし、番組制作者にとってもジレンマなのだ。成長は喜ばしいものだし、ショタの成長を見せることでメインターゲットである子供達への刺激にもなる。しかし、一度成長してしまうと元には戻れなくなる。それが成長なのだ。ショタは、このジレンマの中で生かされる存在なのだろう。

 すこし話題を変えて、子供達を取り巻く環境についてシリアスな話をしよう。

 この21世紀においても、子供達をとりまく不幸なニュースは後を絶たない。世の中には悪い大人たちが沢山いて、いまこの瞬間も子供達が様々な犯罪に巻き込まれている。一方で、子供達が成長するための小さな社会(学校など)を管理すべき大人たちがその責任を果たさず、子供達同士では解決できないトラブルにより、心を深く傷つけている子供達もいる。もちろん今すぐに何かが出来るわけではないのだが、ショタコンこそはそういう子供達がいることをたまには思い出し、解決する手段を模索することを諦めてはいけないのだと思う。

 さて、ここまでの長文をじっくり読んでくれた人にも、読み飛ばした人にも、とりあえず感謝を伝えたい。そして、ショタについて共に語ってくれる人達、ショタに関する創作物を世に出してくれる人達にも、この場を借りて感謝したい。今後もショタエロ(R-18)をよろしく頼む。

ショタベントカレンダー2018 adventar.org

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以上。

ペンギン・ハイウェイの感想2

僕は自分のことをたいへん賢い人だと思っていた。 同時に、同じ映画を同じ映画館で一人で3回も見る人を賢いとは思わなかった。 なので、僕はどうも賢い人でなかった可能性があるのだ。

では、感想を始めたい。今回は小ネタが多数である。 おおいにネタバレがあるので、また見ていない人でネタバレを見たくない人は回れ右をして帰ること。

vipshota.hatenablog.com

アオヤマ君の誕生日について

アオヤマ君の誕生日は2月19日である。 劇中で、20歳になるまでに閏年が3回あると書いていた。 劇がはじまる6月29日から3888日経つまでに、閏年は3回または2回訪れるが、3回とノートに書いてあったので、2月19日で確定である。

劇中では小学4年生、9歳である。

閏年が3回ある例
2018年6月29日
2020年 閏年
2024年 閏年
2028年 閏年
2029年2月19日

閏年が2回ある例
2020年6月29日
2024年 閏年
2028年 閏年
2031年2月20日

525円のおっぱいケーキ

消費税はまだ5%なようだ。

因果関係のはなし

3回目で確信したが、コウモリを出したことの意味は、伏線でもなんでもない。 なぜなら、その直後にコウモリを出した理由をアオヤマ少年が解決したからだ。 つまり、外が暗いとコウモリ、外が明るいとペンギンという因果関係に気づくために必要な観測であり、隠しておいて後でまとめて回収される類いの伏線ではない。

絶食のシーンも同じだ。人は食べないと平気ではないことを自分で実証し、かつ人は必ず死ぬという妹との会話から、お姉さんは人間ではないという結論に結びついた。

何にしても、この映画(小説)は、伏線の早さに定評がある。 次のシーンで回収される様な伏線は伏線ではないので、これらは観測と考察である。 観測を重ね、すぐに考察し次に進む。それがこの映画の基本である。

海辺のカフェ

コーヒー250円。安いね。

チェスに勝つ

アオヤマ君はハマモトさんにチェスに勝って研究の秘密を教えてもらった=認めてもらったので、 スズキ君はハマモトさんに勝てれば付き合ってもらえるということなのだろうか。将来が気になる。

未練

お姉さんの未練は結局何だったのだろう。 もちろん劇中では明記されていないけれど、アオヤマ君が謎を解くのを気になったんだろうなとは思う。

本当の大人になる

「僕は大人です」と言い切った少年が、最後に「本当の大人になる」と言ったこと、これが成長であると僕は思う。 このひと言が、僕の心をぐっと引き寄せてくれる。

パソコンと電話

正しく記憶している訳ではないのだが、劇中でパソコンや電話が使われているシーンを見かけなかった。(僕の記憶による、要検証) パソコンや電話というのは、時代によってその形が変化し、劇を古びさせる要因にもなるのだが、それを一切登場させずに物語を成立させたのだとしたら、素晴らしいなと思った。ノートの形は少なくとも100年は変わらないだろうからね。

信念

信念がないと科学は続けられない。ないしは、信念がなくなった人は科学者ではない。

自分は賢いという信念、自分は何かを発見するんだという信念、そういうのがない人は、科学者には向いていない。 事実を見つめ、因果関係を考えることも大切だけれど、最後にアオヤマ君がつぶやいていた「信念」というのは科学者にとって必要不可欠な要素なのである。

ペンギン・ハイウェイの感想1

おおいにネタバレがあるので、まだ見ていない人でネタバレをみたくない人は回れ右をして帰ること。

penguin-highway.com

ペンギン・ハイウェイはサイエンスアニメである

ペンギン・ハイウェイの本来の分類は、おそらくSF、すなわちサイエンスフィクションだろう。 だが、僕はあえてフィクションを取り外したいと考える。

サイエンスとは何か。 Wikipediaには次の3つの定義が書かれている。

  • (広義)体系化された知識や経験の総称であり、自然科学、人文科学、社会科学の総称。
  • (狭義)科学的方法に基づく学術的な知識、学問。
  • (最狭義)自然科学。

ペンギン・ハイウェイは、このうち狭義と最狭義に当てはまるアニメだった。

この世界は、宇宙の理の中で動いている。 たとえば、光速を超えて情報を伝達することはできないし、過去に戻ることはできない。 これらの原理や、自然をよく説明している法則、そして様々な観測結果を満たすように、この宇宙はどういう形なのか、どのようにして形成されたかを考えることは、自然科学に他ならない。 アオヤマ君やハマモトさんが足を踏み入れ、おそらくはアオヤマ君のお父さんが仕事にしているのはまさにそれである。

このアニメでは、現職の科学者から見てもとても正当で厳密な科学的な手続きを踏んでいる。 観測した結果から仮説を立て、検証するためにまた観測する。 仮説、観測、検証の繰り返しは、科学の基本そのものだ。 さらに、再現可能性についてもよく検討されている。 お姉さんがペンギンを出す条件をアオヤマ君が探るのがまさにそれである。

また、観察の記録の取り方がとても良かった。 小学四年生男子が書けるレヴェルをはるかに超えていたのが多少気になったが、 文章と絵を両方使い分けながら、頭の中で論点を整理しつつ書き留める能力は、一流の研究者にも勝るとも劣らない素晴らしいものだった。

エウレカ」についての表現もとても良かった。 実際の科学においては、頭の良い先人たちが苦労に苦労を重ねて生み出した成果が先行研究として広がっており、 新しい発見をポンポン得られるほど安易な世界ではない。 だが、自分が新たに観測したことをよくかみ砕いた上で記憶し、様々な種類の経験と体験の結果、思いつく新たな発見というのは「エウレカ」という美しい言葉にふさわしい体験である。

研究の秘匿義務についても、非常に良く表現されていた。 研究者は、最終的には研究で得た新たな発見を公表するわけだが、その過程は通常は公開されない。 新たな発見にたどりつくまでに往々にして紆余曲折があるわけで、うまくいった手法と結果だけを他者に真似されたくないからだ。 先に発表した人が発見者であるという前提は科学の世界においても成り立ち、そのため共同研究者内で研究の中途では外部に対して秘匿する約束を交わす。 だが、常に秘匿がうまくいく訳ではない。 約束を交わしても、極めて重要な発見の場合は共同研究者の一人が誰かに漏らしたり、状況証拠などから情報が漏れることは多々ある。 その辺も含めてたいへん良く表現されていた。

おっぱいの問題について

アオヤマ君が「おっぱい」と発言した回数をカウントするのを忘れてしまったが、それはもう頻繁に「おっぱい」が出てきた。 世の中には、「おっぱい」が過剰に強調されているアニメが氾濫しており、多くの場合その「おっぱい」に見とれるのは主人公の役割でもある。 その例に違わず、アオヤマ君も「おっぱい」に見とれる少年なのであった。

しかし、ここで大きな問題が発生する。 それは、主人公が精通しているかどうか、という問題である。

アオヤマ君は小学四年生、先日調査した少年の精通(初めての射精)の年齢によると、小学四年生はほとんど精通していない。 つまり、アオヤマ君も精通していないと考えるのが妥当である。 では、精通していない少年が「おっぱい」に見とれることは、不健全といえるのだろうか。

これは、兄弟ではない男女(各一人)が同じ部屋で遊ぶのを許されるのは何歳までか、という問題に通じるのかもしれない。 ある年齢からは、やんわりと男女が同じ部屋で遊ばなくなるし、大人もそれを良しとしなくなる。 小学四年生はどうだろうか。僕はまだ男女が同じ部屋で遊ぶのは許されると思っている。

「おっぱい」をなんとなくえっちなことであるという知識を持っているウチダ君も、知っていても恥ずかしさを知らないアオヤマ君も、まだ性の扉を開いていない。 そんな彼らが繰り広げる物語において、女性が性的に消費されているなどという感想は、少年の発達を良く理解していない無知な感想だと言わざるをえない。

ショタ

男の子の裸があり、水着があり、びしょ濡れになり、恋に落ちて、一生懸命走る。 ちょっと背伸びしている少年と、鼻水を垂らしている感じが似合う男の子と、あと少しで下の毛が生え始まるがきんちょがいる。 ショタが好きなショタコンはまず曇りなき心で彼らの冒険を見て欲しいと思う。

個人的には自販機に縛り付けられて身動きがとれなくなったシーンが好きだ。 水泳のパンツを脱がされるシーンよりも、着衣のままロープで縛られるシーンが好きだ。 劇中では描写されなかったが、あのシーンに至るまでに、アオヤマ君は自販機の前で棒立ちになったまま、スズキ君帝国の手下二人によって念入りにロープで縛られたはずなのである。 そのシーンを想像するだけで・・・うん、もういいだろう。

話は変わるが、友達と電車に乗るときはカバンを自分の横に何気なく置いているのに、お姉さんと電車に乗るときはカバンを膝に抱えているアオヤマ少年は素敵だった。 鼻血ブーである。

得たものと失ったもの

科学者を目指すことになる少年少女は、これは僕の勝手な推測ではあるが、どこかで世界の謎に取り憑かれるのだと思う。 科学者とは、人類がまだ見ぬ世界の謎というピースを自分で作り、先人たちが作り上げてきたジグソーパズルの一番端に当てはめていく作業だからである。

アオヤマ君は、お姉さんという片思いの相手を失ってしまったが、その冒険の中で自分が作りたいピースを見つけたのだ。走れアオヤマ。走れ少年。

総評

予想以上だった。

それはそうと、真面目に、語る会をやりませんか?

vipshota.hatenablog.com

権力に楯突くのがカッコいいと思い上がってるクソ監督が作った、カンヌ映画祭の最高賞を受賞した作品「万引き家族」の感想(ネタバレあり)

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(当ブログ主はショタコンです)

権力に楯突くのがカッコいいと思い上がってるクソ監督が作った、カンヌ映画祭の最高賞を受賞した作品。

作品を見るまではその程度の知識だった。

見始めた瞬間、最初の万引きのシーンから、誰がどうやってこの生活の幕を引くのか、ということが気になって仕方がなかった。元夫を殺した父親役、謎の多き母親役、金づると思いきや実は金をせびるばあさん、体を売る子供役、万引きの手伝いをさせられる子供役、そして虐待から救われ誘拐された女の子。一体誰なのか。

男の子がかわいかった。満足である。

貧困は伝播する。家族の中で誰一人として貧困から抜け出す手段を知らないというのは致命的なバグである。万引きはよくないとか、年金詐欺はよくないとか、体を売るのはよくないとか、そういうのはテレビの芸能人コメンテーターに言わせておけばよい。この国が抱える問題はそこにはない。

男の子が父親役に襲われなくてよかった。

国民が最悪の現状を直視していない。救われない子供達がいる、集られる老人達がいる。そういう状況を、直視せずに今は何とかなっているのだから、波風立てずにいればいいと思っている国民が多数である。経済成長しないことがひずみを増幅していることに気づかないふりをしている社畜達が沢山いる。

男の子の乳首を拝めてよかった。

現状を変えることにおっくうになってはいけない。確かに今は自分の力不足かもしれないが、変えられる立場になったときに諦めないために今何を出来るのか考えなければならない。めんどくさいことから逃げてはならない。目の前の困難に立ち向かおうとする意思をなくしてはいけない。

男の子の肌ってきれいだよね。

僕たち大人は、次の世代が生きる世界を少しでもよくする責任がある。それは、僕たちが働けなくなったときに尊厳を保って死ぬための保険でもある。死んだときに家族に庭に埋められないためである。だが、現実はこの映画にいるような大人達ばかりなのだ。どれだけお上が良いことを言っても、それを信じて実践する国民がいなければ、何も変わらないのだ。

男の子に朝は固くなるか聞きたかった。

とにかく、男の子がかわいかった。この醜悪な生活の幕を引かせたのがすこしだけ成長した男の子だというのがせめてもの救いであり、この世界に残された希望でもあると感じた。

president.jp

無線LANと囚人のジレンマ

囚人のジレンマというのは、ゲーム理論による問題提起の一つである。囚人二人が協調すれば二人にとってよりよい結果が得られるが、自分の利益だけ追求すると二人にとって必ずしもよりよい結果が得られないというものである。

囚人同士は相談できないというところがゲームのポイントである。

集合住宅における無線LANでも囚人のジレンマが発生しやすい。互いに協調し合って最小限の出力で最小限のチャンネルしか使わなければ、お互いにとってよりよい結果が得られる(いわゆるパレート最適)。しかし、相手が協調した場合でも、裏切った場合でも、裏切って最大の出力で最大のチャンネル数を使った方が自己の利益は高くなる。その結果、お互いに裏切りという選択をしてしまう(いわゆるナッシュ均衡)。

(この分野の専門家ではないので記述に誤りがあるかもしれない)

ともかく、無線LANの電波の出力はなるべく最小限にしよう、と言う提案である。

東京ローカルイベントに赤字数十億

赤字垂れ流しまくりの大会議とかなんとか地方会議とかをやり始めてから、俺のプレミアム会員費が一度も参加したことないような東京ローカルイベントに使われるのかと思った時点でニコニコプレミアム会員の退会は確定した。

って話は前もした。

東京ローカルイベントに赤字トータル数十億