びしょの日記 (vipshota’s diary)

これはショタコン的視点からの雑多な日記帳です。まじめな記事が5割、ふまじめな記事が5割でできています。将来黒歴史になる予定です。

大学における軍事研究 2

vipshota.hatenablog.com

 

「善良な」科学者が、予算によって制約されることで、やりたくもない「軍事関連」の研究費を獲得しに行かなければならない現状は「悪」であるという批判。

 

僕は、この手の批判をする人たち、仮に「平和主義者」と言っておくが、この平和主義者についてひとこと言いたい。

 

まず、「善良な」科学者というのは何か。それは、科学のため、社会のため、自分のため、国のためなど、それぞれの比重は異なるものの、何かのために誠実に研究をする人たちである。平和主義者はおそらくこの「国のため」という言葉に敏感に反応するに違いない。しかし、世の中には「国のため」に仕事をしたいと思っている人も中にはいる。平和主義者に目をつけられるのが嫌で、そう公言することは少ないだけだ。

 

「軍事関連」というのは何か。僕は、日本における科学の発展そのものが、一つの軍事的抑止力になっていると言う説を推したい。仮に日本と他国が戦争になったとき、日本に他国と戦えるだけの技術力があるのか、日本を占領しようとしたときに抵抗するだけの底力があるのか、その力の一つが科学力である。

 

幕末に他国から開国を迫られたとき、日本の高い識字率や西洋とは違う発展を見せた科学力を見たとき、占領するよりも仲良くした方が得策だと欧米に思わせた、それが一種の軍事力になる。いまさら普通の研究と軍事関連の研究を分けたところで意味はない。どちらにせよ、最悪の事態を防ぐための抑止力になるはずだ。

 

僕は、平和主義者が嫌いだ。自分たちが正しく、全ての科学者が自分たちの考えと同じだと勘違いをしている、そういう自惚れが嫌いだ。偏狭な考えが嫌いだ。

 

やりたい人がいれば「軍事関連」の研究も大いに進めるべきだと思うし、自分の研究が純粋な科学の世界で評価されないのであれば、「軍事関連」で一息つかせるのだってありだと思う。国のために研究をしたい、軍事関連の研究をしたいと思う研究者の「自由」を奪うべきではない。