LGBTに関する職場の意識調査についてのツイッターの投稿まとめ
LGBTに関する職場の意識調査
https://www.jtuc-rengo.or.jp/info/chousa/data/20160825.pdf
ってかさー、「LGBTは嫌」って言ってる奴は何しに会社行ってるわけ?セックスの相手探しに行ってんの?俺は一緒に仕事してる人に対して「同性が好きな人?異性が好きな人?」なんて考えたことないんだけど。そんな情報が必要なのって、性的に好きな相手にだけでしょ?世間は違うの? https://t.co/Wv71oHLmoy
— じゅん🏳️🌈 (@GDS_Jun) 2017年1月7日
仕事量と拘束時間のバランスが取れている職場だとそういう余計なことを考える暇はないかもしれないけれど、拘束時間だけが長い職場だと違うかもしれない。
https://twitter.com/vipshota/status/818055021224857601
◆職場の上司・同僚・部下等が、いわゆるレズビアンやゲイ(同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)であった場合、どのように感じるか という問に対する答えが「嫌だ どちらかといえば嫌だ どちらかといえば嫌でない 嫌でない」だけで、「どうでもよい」がないのがおかしいと思うんだが。
https://twitter.com/vipshota/status/818055497437696000
◆職場の上司・同僚・部下等が、いわゆるショタコンやロリコンであった場合、どのように感じるか
という調査をしてもらいたい。
https://twitter.com/vipshota/status/818057260060413952
「職場の上司・同僚・部下等が、いわゆるレズビアンやゲイ、バイセクシュアルであった場合、どのように感じるか」という質問そのものが差別的だと僕は思う。死すべきは「自分の性的嗜好を職場に持ち込む公私混同連中」であって「持ち込まない(全ての性的嗜好の)人たち」ではない。
https://twitter.com/vipshota/status/818061557254889472
ただし、将来を案じて結婚相手の心配をしてくれるお節介上司と、自分の子供の自慢をしてくるおしゃべり同僚は、社会にとって必要だと思うので、LGBTとは切り離して考えるべきだと思うし、撲滅するべきではないとも思う。
https://twitter.com/vipshota/status/818062917442469888
(一部、自分のツイートを改変しました)
成人式についてのツイッターの投稿まとめ
毎年、演出で乱入する茶番劇をやればDQNの乱入を防げるんじゃないかなあって。
https://twitter.com/vipshota/status/818049659390132225
吉本新喜劇風にやってみよう、ぜひ。
https://twitter.com/vipshota/status/818049852453986304
20歳とは人として認められる年齢です。20歳未満は犯罪をしても人じゃないので報道時には名前ではなく「少年A」等になりますが、20歳以上は人になったのでちゃんと名前で報道してくれます。人っていいですね。
https://twitter.com/vipshota/status/818116712293924864
1千着x15万円=1.5億円か・・・。
https://twitter.com/vipshota/status/818314188401483776
子供が小さい大人なんだとしたら、僕はショタコンにはなってない。子供には子供にしかない何かがあり、大人になると失われる何かがあるから僕はショタコンをやってるんだ。子供を大人の延長で考えるな、とショタコンの僕は声を大にして言いたい。
外では言えませんが。
https://twitter.com/vipshota/status/818322151946133504
渋谷のハロウィーンを見ても、北九州の成人式を見ても、日頃から派手に着飾って目立ちたいという欲望を押さえつけて生きてる人がそれなりの数いるんだなあって。
学校の教師がソーシャルゲーム脳になった日
スマホのソーシャルゲームでは、毎月のようにランキング形式のイベントが行われ、ランキング上位者に配布されるアイテムを目指して課金したり効率的なポイントの獲得方法を試したりしている。
一方、学校教育では、毎年のようにランキング形式の全国学力テスト(正確には全国学力・学習状況調査)が実施され、ランキング上位者が得られる栄誉を目指して、様々な教育方法が学校ごとに試されている。ちなみに、効率的にランキングを上げる方法は、教師の言うことを疑問を持たずに無条件に信じる子供を育成し、レベルの低い子供を一人でも普通レベルにすることである。
ソーシャルゲームの多くでは、レベルの高いアイテム等を極めることが攻略の一助となるが、学校教育ではレベルの低い子供を減らすことが攻略の鍵になる。ついでに言うと、テストを最後まで集中して解かせるための、教師の威厳も鍵になる。
ランキングを上げるためには、確かにレベルの低い子供を普通のレベルにすることが手っ取り早い。レベルの高い子供をさらに上げたところで、課金アイテムではないのですぐに収束してしまうからだ。だが、学校教育はそれで本当にいいのだろうか。
もちろん、レベルの高い子供は、学校教育ではなく塾に課金する。ここでいうレベルの高い子供というのは、家庭の教育レベルや資産レベルの話であって、子供の資質とは一致しない。一方、個人の資質としてレベルの高い子供は、学校で知っていることを学ぶために座っている6時間のうちの何割かは無駄になる。
ところで、あるソーシャルゲームの話をしよう。スプラトゥーンというゲームである。一昨年日本で爆発的な流行になったこのゲームを、多くの日本人が熱狂的にプレイをした。しかし、あまりに強すぎて勝負にならないと海外のゲーマーが嘆いていたらしい。このゲームにも全プレイヤーで統一的なランキングがあり、日本人はこのランキングを見ると競わずにはいられなかったようだ。おそらくは、攻略方法を開発し、共有し、鍛錬を惜しまず、ときには課金をはばからなかった。とにかく日本人はランキングを見ると目の色が変わるようなのだ。
日本人の習性として、ランキングを見せられると、うちはうち、よそはよそと開き直ることができない。だから、全国学力テストはこの習性を加速させることになるだけなので、このようなものは廃止するべきである。
教師や政府に考えて欲しいのは、この日本で生きていくのに必要な子供たちに本当に必要な学力とは何かということだ。九九は覚えていなくても計算機があれば答えは出るが、人口が減り生産力が落ちた今後の日本での生き方は計算機を弾いても出てこない。その答えのない問題を解く方法を教える方法も、やはり答えのない問題である。
その答えのない問題を教師自身が解こうとする努力をしなければ、子供たちが解こうとすることもできないのではないか。全国学力テストで計れるような、簡単に答えを導ける問題で満足してしまう「ソーシャルゲーム脳な教師」は、今の日本には必要ないと僕は思う。
2016年に見た映画たち
映画「聲の形」(2回)
劇場版マジェスティックプリンス 覚醒の遺伝子
モンスターストライク THE MOVIE はじまりの場所へ
ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー
オタク+サイエンス+ショタコン+アニメ 的なラインナップになってしまったのは、仕方がないことである。
オタク的要素
サイエンスフィクション的要素
ショタコン的要素
- ドラえもん 新・のび太の日本誕生
- モンスターストライク THE MOVIE はじまりの場所へ
- 映画「聲の形」
こうしてみると、「君の名は。」だけは話題だけで見に行った感は否めない。
大学における軍事研究 2
前
「善良な」科学者が、予算によって制約されることで、やりたくもない「軍事関連」の研究費を獲得しに行かなければならない現状は「悪」であるという批判。
僕は、この手の批判をする人たち、仮に「平和主義者」と言っておくが、この平和主義者についてひとこと言いたい。
まず、「善良な」科学者というのは何か。それは、科学のため、社会のため、自分のため、国のためなど、それぞれの比重は異なるものの、何かのために誠実に研究をする人たちである。平和主義者はおそらくこの「国のため」という言葉に敏感に反応するに違いない。しかし、世の中には「国のため」に仕事をしたいと思っている人も中にはいる。平和主義者に目をつけられるのが嫌で、そう公言することは少ないだけだ。
「軍事関連」というのは何か。僕は、日本における科学の発展そのものが、一つの軍事的抑止力になっていると言う説を推したい。仮に日本と他国が戦争になったとき、日本に他国と戦えるだけの技術力があるのか、日本を占領しようとしたときに抵抗するだけの底力があるのか、その力の一つが科学力である。
幕末に他国から開国を迫られたとき、日本の高い識字率や西洋とは違う発展を見せた科学力を見たとき、占領するよりも仲良くした方が得策だと欧米に思わせた、それが一種の軍事力になる。いまさら普通の研究と軍事関連の研究を分けたところで意味はない。どちらにせよ、最悪の事態を防ぐための抑止力になるはずだ。
僕は、平和主義者が嫌いだ。自分たちが正しく、全ての科学者が自分たちの考えと同じだと勘違いをしている、そういう自惚れが嫌いだ。偏狭な考えが嫌いだ。
やりたい人がいれば「軍事関連」の研究も大いに進めるべきだと思うし、自分の研究が純粋な科学の世界で評価されないのであれば、「軍事関連」で一息つかせるのだってありだと思う。国のために研究をしたい、軍事関連の研究をしたいと思う研究者の「自由」を奪うべきではない。