びしょの日記 (vipshota’s diary)

これはショタコン的視点からの雑多な日記帳です。まじめな記事が5割、ふまじめな記事が5割でできています。将来黒歴史になる予定です。

学校の教師がソーシャルゲーム脳になった日

スマホソーシャルゲームでは、毎月のようにランキング形式のイベントが行われ、ランキング上位者に配布されるアイテムを目指して課金したり効率的なポイントの獲得方法を試したりしている。

 

一方、学校教育では、毎年のようにランキング形式の全国学力テスト(正確には全国学力・学習状況調査)が実施され、ランキング上位者が得られる栄誉を目指して、様々な教育方法が学校ごとに試されている。ちなみに、効率的にランキングを上げる方法は、教師の言うことを疑問を持たずに無条件に信じる子供を育成し、レベルの低い子供を一人でも普通レベルにすることである。

 

ソーシャルゲームの多くでは、レベルの高いアイテム等を極めることが攻略の一助となるが、学校教育ではレベルの低い子供を減らすことが攻略の鍵になる。ついでに言うと、テストを最後まで集中して解かせるための、教師の威厳も鍵になる。

 

ランキングを上げるためには、確かにレベルの低い子供を普通のレベルにすることが手っ取り早い。レベルの高い子供をさらに上げたところで、課金アイテムではないのですぐに収束してしまうからだ。だが、学校教育はそれで本当にいいのだろうか。

 

もちろん、レベルの高い子供は、学校教育ではなく塾に課金する。ここでいうレベルの高い子供というのは、家庭の教育レベルや資産レベルの話であって、子供の資質とは一致しない。一方、個人の資質としてレベルの高い子供は、学校で知っていることを学ぶために座っている6時間のうちの何割かは無駄になる。

 

ところで、あるソーシャルゲームの話をしよう。スプラトゥーンというゲームである。一昨年日本で爆発的な流行になったこのゲームを、多くの日本人が熱狂的にプレイをした。しかし、あまりに強すぎて勝負にならないと海外のゲーマーが嘆いていたらしい。このゲームにも全プレイヤーで統一的なランキングがあり、日本人はこのランキングを見ると競わずにはいられなかったようだ。おそらくは、攻略方法を開発し、共有し、鍛錬を惜しまず、ときには課金をはばからなかった。とにかく日本人はランキングを見ると目の色が変わるようなのだ。

 

日本人の習性として、ランキングを見せられると、うちはうち、よそはよそと開き直ることができない。だから、全国学力テストはこの習性を加速させることになるだけなので、このようなものは廃止するべきである。

 

教師や政府に考えて欲しいのは、この日本で生きていくのに必要な子供たちに本当に必要な学力とは何かということだ。九九は覚えていなくても計算機があれば答えは出るが、人口が減り生産力が落ちた今後の日本での生き方は計算機を弾いても出てこない。その答えのない問題を解く方法を教える方法も、やはり答えのない問題である。

 

その答えのない問題を教師自身が解こうとする努力をしなければ、子供たちが解こうとすることもできないのではないか。全国学力テストで計れるような、簡単に答えを導ける問題で満足してしまう「ソーシャルゲーム脳な教師」は、今の日本には必要ないと僕は思う。