議員の二重国籍問題の論点
で一度書いたが、自分なりに世の中で言われている論点を整理したい。
二重(多重)国籍状態を日本の法律は容認している
これは、おそらく正しい。法律というのはその運用とセットで考えるべきであり、条文として国籍唯一の原則を掲げていようが、実際に多重国籍の国民を処罰等していないのだから、実質的に(消極的に)認めていると言っていいだろう。
当該議員は有権者の投票行動で信を得ている
これは、間違っている。左翼の方々にはなぜか当該議員が二重国籍状態であってもその上で信を得ているのだから、二重国籍も信を得ているみたいな論法をする人がいるが、論理矛盾である。議員の経歴は明らかに詐称であり、有権者を騙す行為に他ならない。もし、選挙に初めて出馬する段階で指摘されていたのだとしたら、二重国籍状態を解消する行為をしていたはずだ。だとすれば、二重国籍は信を得ていないし、議員は信を得る前提条件が間違っているから、議員辞職して再度信を問いなおすべきだ。そんな議員が野党の党首になるのだとしたら、その野党の存在意義がないだろう。
議員の二重国籍を禁じる
これは、現実的ではないだろう。700人を超える議員全員に、二重国籍かどうかのチェックをするのは現実的ではない。ただし、国籍についての経歴を出してもらわなければならない。国民の意志として多様な国籍を認める国家を目指す志向が強ければ、二重国籍の議員に投票することも厭わないだろうし、そうでない国民が多ければそうではない結果になるだろう。大前提として、正しい経歴を出してもらわねければ、正しい判断をすることは出来ない。今回の議員のように嘘の経歴を出して当選した議員の議員資格は剥奪、そこまで踏み込んで法整備をしてもらいたい。
議員に愛国心は必要か
野党の代表としての資質を問われたとき、「生まれ育った日本に誇りを持っているし、愛している。その部分では国籍法に基づいて正式な手続きで、 日本人になった。台湾籍も放棄している。ここに尽きる」と答えたそうだ。日本を愛することが日本の国会議員の最低限の資質であっていいはずがない。
日本の予算をどのようにし、どのような法律を作り、日本と外国との関係をどうあるべきか、それを主張し選挙で勝ったものが国政の与党を担い政府を構成する。その主張の一つに日本を愛するという言葉はあっていいかもしれないが、前提としての愛国心なんてのは存在するわけがない。
一連の騒動をみて、蓮舫という人間は、民主党時代の「今さえ良ければいい、自分さえ良ければいい」発想を体現している人なのであって、僕が嫌うタイプの人なんだなということがよく分かった。ともかく、議員辞職してもう一度東京都選挙区で信を問いなおすべきだ。