子供が不条理で何が悪い
こんな投稿を見た。
高校野球周りの新聞が作り出す美談ってやたら高校生に何か諦めさせてない?おにぎりマネージャーやるために進学クラス行き断念、母子家庭だからプロ選手断念して消防士に、クラシックバレエやめて女子マネ、でコンクール出場諦めて応援参加と。なんでこんなに子供に自己犠牲させて喜んでるんですか。
— パプリカ (@papurika_dreams) 2016年8月17日
世の中は不条理の塊だ。自分はいつも犠牲を払ってる。みんなそうやって生きている。それは子供たちも同じで、親、学校、先生、友達、様々なものに縛られ、自由のない世界で行きている。
人や組織だけではない。学校に行くことだってそうだ。中学生や高校生でプロになった人たちを除けば、毎日毎日、暑い日も雨の日も学校に行って授業を何時間も受けることが当たり前だと言われている。この、どこが自己犠牲でないというのだ。
そういう犠牲が全てダメなのか、僕はそうは思わない。
それに、貧困の問題と、教育の問題を混同してはならない。日本には、より高い教育を受けるために能力があれば必要な支援は得られる仕組みがあるが、個人がプロ選手になるための支援は得られないことになっている。その仕組みがちゃんと動いているかどうかは別問題だが。
何かを犠牲にしたらその対価に何かを得られることも多い。ただ、得られたものはその時には分からないかもしれない。直接的に自分には返ってこないことかもしれない。人は犠牲を払ったものと得られたものをバランスさせて生きてるのではなく、その差を納得して先に進むのだ。
それを、事情の知らない外野の人間が一つの記事だけをもってあーだこーだ批判をするのは、筋違いだ。美談は美談として素直にスルーするのが大人のマナーではないか。
自分の人生が自己犠牲ばかりなことを隠すために、他人に過度に干渉するのはやめてくれ。他人の不遇を憤ることは正義じゃない。そして、自分の人生が豊かになることも、たぶんない。