科学と成果と金(予算)
何のために研究者は科学をやるのか。
一つの例は誰も知らない未知の領域を探索することにあると思う。大隈氏はいいことを言っている。
誰も手を付けていない未知の領域を探索し、その領域でたまたま良い成果が出ると、その領域が発展し学問になる。科学者としてそうなるのは非常に面白い結果なのだが、未知の領域を探索して必ずしも良い成果が出るとは限らない。良い成果が出ず、学問にならず、失われた領域になってしまうことも多々ある。
「社会にとってどういう利益があるのですか」という質問をオープンキャンパスをするとよく受ける。研究者がこの質問を上手くはぐらかすことは簡単だが、僕たちが言いたいのは未知の領域の探索を日々考えている研究者にとって、社会への利益はほぼ関係のないことだ。そんなことを考えて日々研究していない。オープンキャンパスのその一日だけ考える機会があるということだ。
話を戻して、未知の領域を探索した結果、面白いものは何もなかったとする。すると次の予算(競争的資金)獲得は出来ないことが多い。競争的資金は多くの場合連続性が求められるからだ。すると次の探索ができず、研究が続けられないことになる。
もちろん、競争的資金以外に何もないわけではない。大学には運営費交付金という予算があり、大学で研究をやっていれば何の成果もなくとも学生の数や教員の数等に応じて研究費が割り当てられる。学生を研究によって教育するための基礎資金と言っていい。
しかし、競争的ではないほぼ唯一の資金である運営費交付金がこの10年以上に渡り年率1パーセントで減らされ続けている。多くの大学関係者が問題視しているこの問題は、すなわち巡り巡ってノーベル賞に関わってくるかもしれないのだが、残念ながら社会的に認知されている問題とは言いづらい。
今後、この問題が解決される見込みはないし、このまま削減が続けば日本から基礎研究において新しい芽が出るのは一部の予算が潤沢な大学に限られることになるだろう(そこでも年率1パーセントで減らされているのだが)。最後に割を食うのは、人以外の資源がないこの国の国民だと思うのだけれど、皆さんはどう考えますか。