びしょの日記 (vipshota’s diary)

これはショタコン的視点からの雑多な日記帳です。まじめな記事が5割、ふまじめな記事が5割でできています。将来黒歴史になる予定です。

貧困叩きの真相

貧困問題について考えてみる。まず、幾つかの分類を提案したい。

  • テレビに出てくる貧困層
  • テレビに出てこない貧困層
  • 「テレビに出てくる貧困層」を叩く層
  • 「「テレビに出てくる貧困層」を叩く層」を叩く層

それぞれの層について僕なりの解釈を書いてみる。なお、以後で出てくる「貧困ネットワーク」とは貧困問題を解決しようとする組織または政党・政治家のゆるい集団だと思ってもらえればいい。

1.テレビに出てくる貧困層(とその共感者)

彼らは、所謂「貧困ネットワーク」にコネがあり、貧困とは何かについて(偏った知識を含めた)情報を持っている人たちである。少なくとも周りと比べて(相対的に)貧困であるが、絶対的に貧困であるかは不明である。そもそも、「コネがある」「情報を得る機会がある」というだけで、貧困から抜け出す機会はいくらかは持っていると言えるからだ。

2.テレビに出てこない貧困層

これが一番厄介だ。コネもなく情報もなく、自分がどのくらい貧困なのか分からないけれど、確実に貧困層といえる人たちがいる。「貧困ネットワーク」が相手にしない本物の貧困層である。

貧困問題を解決する出発点は、何が貧困なのか、貧困じゃないとはどういう状況なかのかを理解するところから始まる。相対的な状況を理解できないと、貧困から抜け出すモチベーションに繋がらない。

だが「貧困ネットワーク」にも相手にされないこの層は、相対的な状況を理解する力、将来設計をするための想像力、そして将来のために今を自制できる力、継続して仕事をする力、これらの一つまたは複数を持っていないことが多い。これは、障害者と健常者のボーダー問題と言ってもいいのかもしれないが、別の機会に論じよう。

3.「「テレビに出てくる貧困層」を叩く層」を叩く層

彼らは正直なところ裕福である。休みの日にデモに参加して『「貧困層叩き」叩き』をできるほど時間的に余裕があり、貧困ネットワークにもコネがあるか貧困ネットワーク側の人たちで、情報も持っていて、ときには情報の発信側を担っている。貧困層を守ってやるという庇護欲と、物事を上から目線で見たい欲求とを両方満たし、かつ自分は一銭も貧困層のために寄付しなくても、貧困層を(税金で)助けてやってるんだと思うことができる、とても都合の良い層である。

ツイッターなんかのハッシュタグで、

#生活苦しいヤツは声あげろ
#貧困バッシングを許さない
#貧困叩きに抗議する新宿緊急デモ

とかいうのを流行らそうとしているらしいが、貧困ネットワークでしか流行っていないのが、悲しい現実だ。いまのところ害はないから、好きにすればいい。

4.「テレビに出てくる貧困層」を叩く層

この層の多くは隠れ貧困層である。テレビに出てくる貧困層との違いは、コネはないが情報だけは持っているということだろうか。自分を貧困層だと心の奥で認識しているが自覚が薄く、叩くという行為によって正義感を満たしつつ、劣等感を隠しているのである。

そして、1000円ランチをほぼ食べたことがないし、好きな映画を何度も見に行くことは勿体ない思うし、好きなサブカルアイテムも好きには買えない人たちである。

 

僕はこの「貧困叩き」層を叩く『「貧困叩き」叩き』層の人たちの気持ちが分からない。どちらかといえば裕福な人たちが、どちらかといえば裕福でない人たちを守るために、どちらかといえば裕福ではない人たちを叩いているのだ。これは明らかに正義ではない。

 

www.newsweekjapan.jp

この人の記事は共感できるところもあるが、具体性がないとかそういうこと以前に、『「貧困叩き」叩き』の人たちにも「貧困叩き」の人たちにも、想像力がないのである。

コネのあるなし、情報のあるなしで、貧困のステージはいくらでも変わる。だが、情報の良し悪しを区別するのは難しく、コネの数には限りがある。つまり「貧困ネットワーク」が救える数には限りがあるのだ。

この手の問題は、結局のところ全体を引き上げることでしか絶対的な貧困問題を解決することができない。すなわち、それなりの予算に裏打ちされた改革などの政策的に解決する以外に真の解決策はないのであって「叩き合い」をすることでは「庇護欲」と「劣等感」を除き何も解決することはできない。