びしょの日記 (vipshota’s diary)

これはショタコン的視点からの雑多な日記帳です。まじめな記事が5割、ふまじめな記事が5割でできています。将来黒歴史になる予定です。

1月に見た映画のレビュー

『マッドマックス 怒りのデス・ロード ブラック&クローム』レビュー

~実写映画の寿命を伸ばした~

実写映画には実写の限界がある。CG全盛になったとしても、CGかそうでないかは見れば分かる、そういう時代もあった。

この映画は、僕の中で引かれていた実写映画の限界を、また一つ超えた気がする。数多くの賞を穫っただけのことはある。確かに見る価値はあった。

☆5

『ザ・コンサルタント』(The Accountant)

主人公は自閉症だ。"数"についての特異な才能を生かし、会計士の仕事をしている。そんな主人公による

「障害を持ちながらも健気に生きる会計士のお話」ではない。

「正義の味方になって悪を裁きまくるお話」でもない。

話は複雑で、字幕で、自閉症の主人公だからコミュニケーションに難があり、表情もほとんど変わらない。正直、説明不足は否めない。楽しく痛快な映画を期待していくと期待外れになるだろう。

☆3

ブラック企業はヤクザと同じ法で取り締まれ

toyokeizai.net

この記事を見て、給料や仕事をタテに取り労働者を奴隷のように扱うブラック企業と、違法な行為で金を稼ぐヤクザと何が違うのか、とふと考えてしまった。

ヤクザ(暴力団)の力の源は、その名の通り暴力である。様々な違法・合法行為において、最後は(違法な)暴力で解決する力を持っているということが、金を稼ぐ際の根っこにある。だから、刑務所に入れられたとしても舐められるよりはまし、という発想が生まれてくるし、そこに恐怖の源もある。

一方、ブラック企業の力の源は、業務命令と給料である。労働者が楯突いてきたときに、違法な業務命令や社会正義にそぐわない給料変動によって、労働者を従わせることができると思っている。さらに、経営者はこれら行為において労働基準監督署等から業務改善命令を出されるかもしれないが、実際に経営者が収監されることは稀である。

ヤクザがなぜ生まれるのかというと、そこには貧困があり、差別があり、離別がある。これは社会全体が抱える闇であり、ヤクザが吸収しなければ、この闇が各地に拡散するだけで、何も解決したことにはならない。では、ブラック企業がどの社会の闇を吸収しているのかというと、安いコストで請け負う業務とか、不人気だけれども誰かはやらなければならない仕事とか、そういうものかと思いきやそうでもない。

ブラック企業の問題は、やはり頭(経営者)にあるのだろう。上が変わる意思がないのに、下がユニオンだ労働組合だと騒いだところで意味がない。変化は両者の歩み寄りでしか訪れない。そして問題の根っこは社会の闇などではなく、経営者の頭の悪さが原因なのだから。

最近その流れを見せているが、僕はブラック企業を「反社会勢力」として取り締まるべきであると考える。そうするには民法やら刑法やらの様々な壁があるのかもしれないが、違法な行為で金儲けをするブラック企業は、違法な行為で金を稼ぐヤクザと何も変わらないはずだ。「ブラック企業」などとやんわりした言い方ではなく「反社会企業」と言うべきではないだろうか。

なぜ日本のイタリアンのピザの裏は白いのか

僕はイタリアンが好きだ。日本の魚料理や寿司と同じぐらい、イタリアンが好きだ。日本のトンカツや牛丼と同じぐらい、イタリアンが好きだ。

日本のイタリアンの店主に問いたい。なぜ、日本のピッツァの裏地は白いのか、と。

僕は、それなりに本場のイタリアンを食べてきたと思っている。北から南まで、メニューにPizzaが存在するピッツェリア(Pizzeria)では、腹が減ったと思ったらとりあえずピザを食べていた。イタリアンが好きで食べていたわけではなく、生きるために食べていたという側面が多いのかもしれないが、それでもカプリチョーザ(Capricciosa)を食べ、マリナーラ(Marinara)を食べ、プロシュート(Prosciutto)を食べ、4つのチーズ(Quattro formaggio)を食べていた。バール(Bar)でもレストランテ(Ristorante)でも、ピッツェリアが併設されているところが多く、読めないメニューで迷ったら、読めるピッツァを食べていた。

生地が厚いの、薄いの、耳がもちもちなの、カリカリなの、丸いやつから四角いやつまで、色んなタイプのピッツァを食べてきた。本場に限らずその周辺国やトランジットでも食べてきた。その僕の多いようで少ないヨーロッパでのピザ経験において、ピッツァの裏地が白かった記憶はない。記憶がないだけで、実際は白いのがあったのかもしれないが、とにかく記憶にはないのだ。

僕は問う。なぜ日本のイタリアンのピザの裏は白いのか、と。美味しいか美味しくないかを問題にしているわけではない。素朴な疑問として、理由を知っているなら誰か僕に教えて欲しい。

朝日新聞記者の発言についてのツイッターの投稿まとめ

に対する僕のツイート

すごいよな。戦前は戦争を煽り日本を敗戦に導き、戦後はありもしない事実で日本を貶め、ねつ造が指摘されてもそれを無視し超論理で人を叩く、これが「朝日新聞」という存在。

https://twitter.com/vipshota/status/819250538822782976

朝日新聞」曰く、僕は他人よりも賢いから弱者に寄り添うことができるんだ。Kさんは弱者でJさんは強者だと決まっている。だから、ねつ造してでもKさんを応援するし、ねつ造した事実を認めないJさんを悪者だとののしるんだ。これを間違いだと言う奴は僕よりバカだから絶対に僕の方が正しいんだ、と。

https://twitter.com/vipshota/status/819252290150240256

弱者に寄り添うのは良いとしても、事実に立脚しない相手の妄想に付き合うのは、建設的ではないと思うんだよなあ。

https://twitter.com/vipshota/status/819252970457923584

(一部、自分のツイートを改変しました)

この朝日新聞の記者の主張を翻訳すると次のようになるだろうか。

首相は(あるいは、日本政府は)朝日新聞がねつ造した事象(過去)に背を向けて逃げよう、逃げようとしているようにみえる。しかし、そうすればするほど、朝日新聞朝日新聞がねつ造した事象に立脚した韓国の市民団体やメディア(過去)はひたひたと追いかけてくる。ねつ造した事象に立脚する人たちの言い分を認める(過去を過去にする)ためには、真実ではなく朝日新聞と韓国の市民団体やメディアにとって都合の良いねつ造(過去)と向き合い、ねつ造した事象に立脚する朝日新聞や韓国の市民団体やメディアの言い分(過去)に真摯に学ぶしかない。朝日新聞が直視したくない真実に立脚した歴史と国際合意を(未来、未来と)繰り返しても朝日新聞がねつ造した事象(過去)は消えない。

確かに、こうして見ると朝日新聞の主張は明快で単純だ。「ねつ造された事象を認めよ」「ねつ造された事象に立脚する韓国の市民団体やメディアに謝罪しろ」「真実に立脚した歴史や国際合意を無視しろ」と言っている。

これが、頭が良い人たちのなせる技だと思うと、本当に頭が痛くなる。

LGBTに関する職場の意識調査についてのツイッターの投稿まとめ

LGBTに関する職場の意識調査

https://www.jtuc-rengo.or.jp/info/chousa/data/20160825.pdf

www.nikkei.com

仕事量と拘束時間のバランスが取れている職場だとそういう余計なことを考える暇はないかもしれないけれど、拘束時間だけが長い職場だと違うかもしれない。

https://twitter.com/vipshota/status/818055021224857601

◆職場の上司・同僚・部下等が、いわゆるレズビアンやゲイ(同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)であった場合、どのように感じるか という問に対する答えが「嫌だ どちらかといえば嫌だ どちらかといえば嫌でない 嫌でない」だけで、「どうでもよい」がないのがおかしいと思うんだが。

https://twitter.com/vipshota/status/818055497437696000

◆職場の上司・同僚・部下等が、いわゆるショタコンロリコンであった場合、どのように感じるか

という調査をしてもらいたい。

https://twitter.com/vipshota/status/818057260060413952

「職場の上司・同僚・部下等が、いわゆるレズビアンやゲイ、バイセクシュアルであった場合、どのように感じるか」という質問そのものが差別的だと僕は思う。死すべきは「自分の性的嗜好を職場に持ち込む公私混同連中」であって「持ち込まない(全ての性的嗜好の)人たち」ではない。

https://twitter.com/vipshota/status/818061557254889472

ただし、将来を案じて結婚相手の心配をしてくれるお節介上司と、自分の子供の自慢をしてくるおしゃべり同僚は、社会にとって必要だと思うので、LGBTとは切り離して考えるべきだと思うし、撲滅するべきではないとも思う。

https://twitter.com/vipshota/status/818062917442469888

(一部、自分のツイートを改変しました)

成人式についてのツイッターの投稿まとめ

www.sankei.com

毎年、演出で乱入する茶番劇をやればDQNの乱入を防げるんじゃないかなあって。

https://twitter.com/vipshota/status/818049659390132225

吉本新喜劇風にやってみよう、ぜひ。

https://twitter.com/vipshota/status/818049852453986304

20歳とは人として認められる年齢です。20歳未満は犯罪をしても人じゃないので報道時には名前ではなく「少年A」等になりますが、20歳以上は人になったのでちゃんと名前で報道してくれます。人っていいですね。

https://twitter.com/vipshota/status/818116712293924864

t.co

withnews.jp

1千着x15万円=1.5億円か・・・。

https://twitter.com/vipshota/status/818314188401483776

子供が小さい大人なんだとしたら、僕はショタコンにはなってない。子供には子供にしかない何かがあり、大人になると失われる何かがあるから僕はショタコンをやってるんだ。子供を大人の延長で考えるな、とショタコンの僕は声を大にして言いたい。

外では言えませんが。

https://twitter.com/vipshota/status/818322151946133504

渋谷のハロウィーンを見ても、北九州の成人式を見ても、日頃から派手に着飾って目立ちたいという欲望を押さえつけて生きてる人がそれなりの数いるんだなあって。

https://twitter.com/vipshota/status/818325223908917252

学校の教師がソーシャルゲーム脳になった日

スマホソーシャルゲームでは、毎月のようにランキング形式のイベントが行われ、ランキング上位者に配布されるアイテムを目指して課金したり効率的なポイントの獲得方法を試したりしている。

 

一方、学校教育では、毎年のようにランキング形式の全国学力テスト(正確には全国学力・学習状況調査)が実施され、ランキング上位者が得られる栄誉を目指して、様々な教育方法が学校ごとに試されている。ちなみに、効率的にランキングを上げる方法は、教師の言うことを疑問を持たずに無条件に信じる子供を育成し、レベルの低い子供を一人でも普通レベルにすることである。

 

ソーシャルゲームの多くでは、レベルの高いアイテム等を極めることが攻略の一助となるが、学校教育ではレベルの低い子供を減らすことが攻略の鍵になる。ついでに言うと、テストを最後まで集中して解かせるための、教師の威厳も鍵になる。

 

ランキングを上げるためには、確かにレベルの低い子供を普通のレベルにすることが手っ取り早い。レベルの高い子供をさらに上げたところで、課金アイテムではないのですぐに収束してしまうからだ。だが、学校教育はそれで本当にいいのだろうか。

 

もちろん、レベルの高い子供は、学校教育ではなく塾に課金する。ここでいうレベルの高い子供というのは、家庭の教育レベルや資産レベルの話であって、子供の資質とは一致しない。一方、個人の資質としてレベルの高い子供は、学校で知っていることを学ぶために座っている6時間のうちの何割かは無駄になる。

 

ところで、あるソーシャルゲームの話をしよう。スプラトゥーンというゲームである。一昨年日本で爆発的な流行になったこのゲームを、多くの日本人が熱狂的にプレイをした。しかし、あまりに強すぎて勝負にならないと海外のゲーマーが嘆いていたらしい。このゲームにも全プレイヤーで統一的なランキングがあり、日本人はこのランキングを見ると競わずにはいられなかったようだ。おそらくは、攻略方法を開発し、共有し、鍛錬を惜しまず、ときには課金をはばからなかった。とにかく日本人はランキングを見ると目の色が変わるようなのだ。

 

日本人の習性として、ランキングを見せられると、うちはうち、よそはよそと開き直ることができない。だから、全国学力テストはこの習性を加速させることになるだけなので、このようなものは廃止するべきである。

 

教師や政府に考えて欲しいのは、この日本で生きていくのに必要な子供たちに本当に必要な学力とは何かということだ。九九は覚えていなくても計算機があれば答えは出るが、人口が減り生産力が落ちた今後の日本での生き方は計算機を弾いても出てこない。その答えのない問題を解く方法を教える方法も、やはり答えのない問題である。

 

その答えのない問題を教師自身が解こうとする努力をしなければ、子供たちが解こうとすることもできないのではないか。全国学力テストで計れるような、簡単に答えを導ける問題で満足してしまう「ソーシャルゲーム脳な教師」は、今の日本には必要ないと僕は思う。